へしおれたじそんしん

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〈物語〉シリーズを知らないあなたが『傷物語 -こよみヴァンプ-』を観るべき理由

おれが劇場版『傷物語 -こよみヴァンプ-』を見てからもう半月くらい経っている。おれは万人にこの映画を見てほしいと思っている。とくに、化物語を知らないあなたに見てほしい。
この映画をいちばんおいしく楽しめるのは〈物語〉シリーズを知らないあなたなのだ。


傷物語』は西尾維新による〈物語〉シリーズの第2弾であり、第1弾『化物語』の前日譚にあたる物語である。
ゴールデンウィーク。孤独を気取る高校生・阿良々木暦は、同級生・羽川翼から吸血鬼の噂を聞く。その日の夜、買い物に出かけた阿良々木は、瀕死の吸血鬼・キスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードと出会ってしまった。なんやかんや吸血鬼になってしまった阿良々木は、ハートアンダーブレードを瀕死に追い込んだ三人の吸血鬼ハンターと戦うことになるのだが──というのがこの作品のあらすじである。

巻を重ねてきた〈物語〉シリーズのなかでもこのおはなしは独立して完結しているので、ここから入って味見するのにちょうどいい。味見と呼ぶにはボリュームがあって非常にリッチではあるが。

阿良々木暦を演じる神谷浩史、ハートアンダーブレードを演じる坂本真綾、両氏の芝居が素晴らしいことは言うまでもない。
(他の〈物語〉シリーズのアニメとも異なる)独特な映像表現は見応えがある。

劇場版『傷物語 -こよみヴァンプ-』は過去の劇場三部作(鉄血篇・熱血篇・冷血篇)の総集編であるだけではない。化物語を含む〈物語〉シリーズは基本的に、主人公である阿良々木暦を語り手として進行する。アニメにおいても過剰なほどの会話劇に、さらに過剰なほどの阿良々木暦のナレーションが挟まれる。しかし『傷物語 -こよみヴァンプ-』は、主人公である阿良々木暦から語り手の役を奪い去ってしまった

カメラは彼の言動を映し出すだけである。彼の内心は語られない。
原作が阿良々木暦目線のナレーションに大いに依存しているゆえに、原作を読んだ(あるいは劇場三部作を観た)人間は、彼が何を思って行動を選択したのかを(彼のナレーションを思い出すことで)勝手に補完してしまう。阿良々木暦を知っているがゆえに、彼が後悔や苦悩を抱えてどんな青春を送るか知っているゆえに、ある意味安心して映画を見ることができる。

だから、吸血鬼と阿良々木暦を取り巻く物語の原点である傷物語を客観的に、先入観にとらわれず堪能できるのは、〈物語〉シリーズを知らないあなただけなのだ。

というか、客観的に見た時に、ひとがこの物語にどんな印象と感想を抱くのかが気になるのである。

☆彡☆彡☆彡☆彡

終物語で語られることになる阿良々木暦の道化なところとか、
猫物語で明かされる羽川翼のいびつさとか、
羽川と阿良々木の関係とか、
そういうのを忘れて、記憶を消して傷物語を味わいたい。そういう気持ちはあります。

以上。