へしおれたじそんしん

アニメをのんだりプラモをたべたりゲームをかじったりする

深夜一時の歪曲ラジオ

人生27年のうち、だいたい10年くらいを捧げてきました。


抽象的な話になります、人生とは抽象的でとらえどころがなく、当人にしかわからない印象や感覚のようなものを文章で的確に表すことができるほどの頭脳も才能もおれは持ち合わせていない、つまりこれは自己分析と自問自答のメモになります。

27年のうちの10年間、そのうちの何年くらいだろう、多分2年くらいはそこそこ頑張っていたと思う。他人のために奔走していたような時期もあった、カネにならないボランティアと苦痛しかない茶番、それでも正しいと思っていたので頑張ってやっていたんですよね。そうこうしているうちに井の中の蛙はちょっと大きな池に飛び込んでみた、所詮蛙は蛙なのでエリートのなかではほとんどゴミ同然なんですよね、圧倒されてしまった蛙すなわちおれはそのまま井戸の底に逃げ込んでなにもかも投げ出してこうして布団の中で夜中にiPhoneでだれも読まない文章を吐き出している。

うつを抱えて部屋に引きこもってはいるが、結局どうなったら解消されるのか全然わからない。薬を飲んで寝ているだけで治るわけではなかろう、運動したらいいのか、外に出て働けと医者は言うがなんのために働いたらよいのか、そもそも30歳も近くなって親に付き添われて医者に通っているのは流石にやばいのでは。最近では自発的に死ぬくらいなら体が壊れて死ぬまでは生きてやろうと言うくらいの心持ちにはなったような気がするが、生きるため飯を食うため寝る場所を確保するために働くほどの意欲があるわけではないのでどうせなら死ぬまで周りに負担をかけて生きてやろうと思っている。
もらえるものはなんでももらってやるぞ、生活保護でも障害年金でもどんどん寄越せ、家があるせいでもらえないなら家を出て一人暮らしをするのも悪くないのかもしれぬ、毎日マクドナルドで生きてやる、具合が悪くなろうがなんだろうが知ったことか、早く死ねるなら願ったり叶ったりだ。絶対に働いてやるもんか、社会に貢献なんて絶対にしないぞ、他人に迷惑をかけて生きてやる、おれが死ぬことを拒むなら責任くらい取ってみろ、無責任に生きることを強要しないでくれ。ごめんなさい、ゆるしてくれ、でもこうするしかないんだよな、布団の中が心地よすぎる。
将来永遠に楽をするために今一生懸命努力する、そんな生き方はまっぴらごめんだ。頑張って生きている人ごめんなさい、生きたくないのに頑張っている人ごめんなさい。生きたくても生きられない人もいるんですか、構うもんか、死んでくれ。